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2008年4月22日火曜日

全身血を浴びて倒れた根本少佐と木村署長

新聞記事文庫 国際労働問題(9-026)
大阪朝日新聞 1927.3.30(昭和2)


全身血を浴びて倒れた根本少佐と木村署長

鬨を揚げて押寄せた暴兵


日本領事館内に入ってみると館内の建物は目茶々々に破壊され、その混乱惨状は目も当てられぬほどである、その中を無数の無頼漢や兵士がなお盛んに器物を壊 したり発砲して暴れ廻っておる、邦人避難民は荒畳を領事館の裏庭に敷いて難を避け、乳飲み児が火の出るように泣き叫ぶ傍に根本陸軍武官と木村警察署長とが 全身血を浴びて打倒れている、それは予が嘗て見たことのない凄惨な場面で応急手当さえしていない、両氏の傷口からは泉の如く血が滾々として湧き出て来る、 銃声はなお耳近くでけたたましく響く、本館の方では暴徒らがまだ家具類を奪い去り打砕く音が起り不安に戦く一同の胸を脅かす、予はここに惨として聞くに堪 えぬ領事館遭難の詳細を物語る必要がある、南京城内居留民百十五名のうち、山東軍退却時の兵乱を慮って婦女子は逸早く領事館内に避難させ、下関碇泊の第二 十四駆逐隊より先任将校以下十一名が出動して警備の任に当っていたが、山東軍の引揚が意想外に平穏にすぎたので、人々は愁眉を開いて門前に築き上げた土嚢 も取除け、小銃三十梃、機関銃一梃も形ずけてやや警戒し解いて寝についた、翌二十四日午前五時半ごろ残兵を追撃した党軍の一部は領事館前の鼓楼広場に集合 を盛んに小銃を撃っていた、南軍が来た以上はもう大丈夫と正門を開いた、すると門を開くと同時に数名の兵士が駆け込んで来て、逃亡兵がおらぬかと部屋中を 捜索してそのまま引揚げたそれから約三十分もたったかと思しきころ百余名の兵隊が鬨の声を挙げて領事館内に殺到し来たり折柄正門には西原二等兵曹が歩哨に 立っていたが、事態不穏と見てこれを制止すると群衆は同兵曹に銃を擬し、『やっつけろ、やっつけろ』と連呼しながら外套越しに銃剣で突きまくり顔面や頭部 をめった打ちに打ち据えた、西原兵曹の危難を見た警備隊の数名が駆けつけると、群衆は有無をいわせずおっ取り囲んで、手取り足取り各人の身体を点検し兵器 も装身具も無理無体にもぎとった

我が領事館内は木っ端微塵の惨状 残忍を極めた掠奪 陸戦隊涙を呑み隠忍

これより先警備隊長荒木大尉は反抗は徒らに避難民全部を尼港事 件同様の虐殺に陥らしむるだけだから、一切手向いせず、暴徒のなすがままにせよと命令したので、陸戦隊の兵士はいずれも涙を呑み切歯扼腕してこの暴行を隠 忍自重した、かくて暴徒の群は三手に分れて本館、事務所、別館に向って嵐の如き獰猛なる叫声を挙げつつ襲撃した、事務室には殆ど女子供ばかりで、四十名余 り避難していたが、正面を突破した暴徒は先ず小銃を乱射しつつ突喊し来り、直に階下の電話室に入り電話機を木ッ端微塵に砕き、そのまま各室の器物を掠奪或 は破壊し始めた暴徒襲来と聞くや、避難民は一堂に集り、要求するものはすべて渡してしまうことを申合せ、暴徒のなすがままに任したが、掠奪兵の群は次から 次へとその数を増し、財布、指輪、時計などを手始めに衣服、毛布、トランクなどを手当り次第に奪い取り、更にその後に来るものは金を出せと迫りつつ婦人達 の髪を解かせ、足袋を脱がせ、帯を解かせ、或る婦人の如きは下帯まで丸裸にされてしまった、抱かれている乳飲児の玩具、帽子、靴下までひったくって洗いざ らい持去り、その揚句蒲団、家具類をどんどん運び表に待たせた自動車や騾馬に満載して、その中いよいよ取るものがなくなってくると、先から手擲弾を投じた り、小銃を撃ち込んだりして破壊していた大型金庫を開けよと迫り、盛んに発砲して阿修羅の如く兇猛
の限りを尽くした、ここに起居していたものは女子供ばかりなので、掠奪劇しさを加うるにつれ、混乱はその極に達し、母親は髪を振り乱して細帯一 つで子供を負って逃げまどい、子供は父母の名を呼び火のつくように泣きわめき、阿鼻叫喚の惨状を呈し、正視するに忍びざる惨澹たる場面を現出した、そうす る中に無頼漢の大群衆が押寄せて残された家具類、調度品を何もかも持去り、ストーブ、便器、履物に至るまで残るところなく掠奪して行く、この間に避難者は 裸足のままでガラス、茶碗の破片の散乱する中を踏越えて漸く裏庭に逃げ延び、露にぬれた枯草を片敷いて乳飲み児を寝かしつけてホッと一息ついた
【以下二の面へつづく】

掠奪兵を銃殺せよ共産党南京支部解散命令

南京森領事からの報によれば程潜氏は蒋介石氏から今回の掠奪兵を発見次第殺せよとの命を受くるとともに共産党南京支部の解散を命じ党員の鎮圧に努めているがまだその効がない(某所着電)

領事奇跡的に助かる 銃丸は衣服を掠めて畳へ 『金を出せ』と武官を刺す

暴徒事務室に来襲したと聞くや、木村警察署長は御真影奉安の室 に闖入のおそれありと見てこれを救うべく馳せつけ、更に本館に報告すべく引返す途中一人の暴徒は同氏の斜め後から狙撃したため署長は右腕に骨●貫通傷を受 けたが、そのまま勇を鼓して本館に逃げ延びた、暴徒は先ず数発の小銃、ピストルを発射して威嚇し、各室に闖入すると同時に逸早く電話機をたたき壊してどか どかと領事の寝室に乱入した、森岡領事は永らくの足部の動脈硬化症で病床にあったが、暴兵はドアを排して室に入るより早く銃を擬して狙いを領事の頭に定め て発射した、弾丸は奇跡的に領事により添うていた夫人との僅かな隙間を殆ど衣服とすれすれに掠めて畳の中に突入った、発砲はそれに続いて室内で乱射され危 険極まりない、その中に暴兵らはいよいよ掠奪を始め、まず事務室の電話機を破壊して後、各人の懐中品を始め、装身具、衣服から書類、家具などを持去り、持 去れぬものは片端から打砕き、領事使用の十型金庫は無惨にも鉄棒にて打壊され、中身は紙一片残さず奪去られた、暴徒は数を増し、次第に不穏の形勢を加えて 来た、「金を出せ」、「金庫を開け」と人々は片端から拉し去られて金庫室に連込まれ金庫の文字標が狂ってどうしても開かぬのに業を煮やし、銃を構えて暴行 を加える、根本武官、板坂民会長、山本訓導らはこの犠牲になって銃把で乱打され、身に数ヶ所の打撲傷を蒙り、特に根本武官の如きは脇腹をあたり構わず猛打 され、そのまま寝室に転げ込んで打倒れた、それを追って数人の暴徒はドカドカと雪崩込み、「金を更に百元出さねばすべて殺す」と脅し文句を並べ、「金はも うこの上一文もない」と聞くや否や銃剣をとり直すと見る中に打倒れている根本少佐の脇腹をブスリと突き立て、返すきっさきで腕を撃れ隣に倒れている木村署 長の脇腹を突いた、根本少佐の傷は服越しとはいえ、きっさきは服、シャツを貫いて長さ二センチ、深さ八分の刺し傷で、血は滾々と全身を染め、惨虐にも重傷 にひるむ同武官を二階の窓から突き落した、あわやという間もなく、転げ落ちて下の貯水タンクに落ち人事不省に陥り、一同は命からがら本館裏の空地に逃げの び、漸く事務室および別館にあった被害者一同と落合うことが出来た、一同一人残らず裏庭に落ち延びた後も暴兵らは入れ替り立替りやって来て「残っている二 つの金庫の鍵を出せ、あれをあけぬとここにいる奴全部を虐殺するぞ」とか「今夜は石油をかけて建物を焼払い、貴様らを一人残らず焼き殺すぞ」とか脅し文句 を並べるので、女子供は慄え上って生きた気持はない、その中に領事の忠実なボーイが危険を冒して饅頭を運んで来て湯を沸かしてもって来たが、誰も胸一杯で 咽喉に通らず、湯を呑もうとしても、欠け茶碗一つ残っていず、僅かに煙草の空缶などをもって皆飲み合った、かれこれしている間に第二軍政治部員楊勁、第二 軍の師団長戴貼両氏が前後して来訪し口先だけは大いに遺憾の意を表し、部隊から保護を加えるから安心されたしと述べ、必要器具、衣服の提供を申出で、「在 留外人の住居に立入るべからず、もし行うものあれば直ちに銃殺する」との貼紙十枚を書き与え、二人の署名捺印をなした上立去った

今夜限りの命か 寒さと飢えとの中に不安に慄える同胞百余 乳を求めて泣き叫ぶ赤児

その後で直に五六名の歩哨が立ってやや秩序恢復した ため一同は一片の装飾すらないあばら家同様に荒れはてた領事応接間に畳やあんべらを敷きつめて病人、乳飲み児を寝かしつけた、ここで早速心配なのは食糧品 の用意であるが、皆のあり金を掻き集めてみても三十元に足りぬ、で先ずこの中から焼餅、饅頭をボーイに買わせに出し、欠け茶碗を集めて悲惨なる夕食を仕度 した、食料品買集めにしても中々思うようにならず歩哨兵に保護を頼んでも、「食糧がいるものか、今晩の中には皆殺されるんだから、食う必要はあるまい」な どと脅かすので、不安はますます漲るばかりだ、やがて四時近い時分と思わるるころ、遥か下関の方向に当って轟然たる砲声が轟き、家屋を振動させた、裏庭か ら見れば下関の軍艦より発射されているものらしく、砲弾は英国領事館の近傍に落下し盛んに土煙を上げるのが手にとるように見える、大砲発射と同時に領事館 の附近に群っていた兵隊も歩哨も皆引揚げて戦争準備を始めた、大砲は下関碇泊の軍艦から撃っていることは明かで、英米だけなら兎も角、日本もこれと共に火 蓋を切っているとすれば、我々は必ず行きがけの駄賃に虐殺されることは必定だというので一難漸くさればまた一難来る不幸を思うて、皆生きた気持もない、砲 声は殷々として百数十発続けざまに発射され、極度の不安の裏に日はとっぷり暮れる、暴徒の残した僅かな燃料をマントルピースに焚きつけてみたが、ひしひし と攻め寄せる寒さは凌ぎようもなく、辛うじて得た一二本の蝋燭はユラユラと明滅して胸もつまるような陰惨な気は迫り来たる、避難者百十余の中五十二名は頑 是ない子供で、中十二名は生れて半年もたたぬ乳飲み児で乳房をふくませる母親の乳は出ず、さりとてミルクなどあろうはずはなく、又ぬれても取り代えるおむ つ一枚あるではなく、むずかる赤子ははりさけるばかりに夜通し泣き叫び甚だしきは肺炎に冒され、今まで吸入をやっていた子供は埃と人いきれのために病勢が 昂進し、焼けるような高熱で火のつくように泣く、全く腹わたをズタズタに断たれるような酸鼻の極みである、今朝の恐ろしさ、次ぎの瞬間生命の不安など細細 と語り合って、一夜まんじりともせず夜を明かす中、漸く不安な一夜は明けて二十五日となった、今日どうしても下関の艦隊と連絡をとらねばならぬ、一刻も早 く聨絡をとって脱出の方法をはからねばならぬというので一同鳩首会議を開いた結果食糧および薬品買入れの名目で下関に代表を走らせることとし、荒木大尉と 私の二人が自動車を駆って城門突破を決行することとなりその諒解を得るため浅賀書記生は司令部に戴師団長を訪れた

『おお生きていたか』吉田司令の頬に涙の滝 救われた刹那の歓喜 南軍の暴行は計画的

かれこれして時を移しているところに、突然一台の 自動車がとまり、海軍の制服をつけた一人の巨漢が館内に踊り入って来て、闥を排して入り来ると共に「おお生きとったか」と領事の手をむずとつかんで、日焦 けした大きな顔に滝のような涙を流した、見れば第二十四駆逐隊司令吉田中佐ではないか、中佐の背後には松浦大尉、三上通訳外士官一名、水兵四名が従ってい る、この時の一同の気持は予の禿筆では到底伝えることは出来ぬ、皆一斉に抱合って感激の涙を呑んで歓呼の声を揚げた、婦人の中には感極まって大声で泣くも のもあり、実に稀に見る劇的場面を演じた、聞くと下関警備艦隊は城内の消息が全く不明なため極度の不安に包まれ、ハルク防備の後藤三等機関兵曹が暴兵の狙 撃で殺されたほどの言語に絶するあらゆる暴行も城内の人々の生命の安全のため涙を呑んで隠忍したもので、今日こそは我々の生死を確かめた上、もしもの時は 断然たる行動に出ずる決心を定め九十名の陸戦隊を上陸させ、桃、檜、浜風はいずれも砲口を城内に向けて撃つばかりの準備を整え、司令自ら決死隊の先鋒とし て六名の部下と共に合図の烽火を携えて乗込んで来たのである、掠奪兵は二十元の懸賞で募った決死の暴兵で、おまけに掠奪すべき家は早くより共産党南京支部 の手によって逐一調べ上げられていたもので、特に英人に対しては極度の悪感を抱き、領事館は目茶々々に破壊し、城内に居留するもので殺されたものは数を知 らず、中には殺された上頭髪、陰毛を焼いて小便を浴びせ放棄された残虐な犠牲者もあるという、その巻添えで米国領事館も散々にやられ、金陵大学の副院長米 人一名殺され、三名の居留民は重傷を受け麗旦大学の予科部教授の仏人二名も敢なく虐殺の悲運に遭った、日本側の掠奪にも真先に平服を着た青年や断髪の若い 女が陣頭に立って指揮するのを目撃した、司令の話によれば、二十五日夕も英艦は城内を砲撃するというので一刻も猶予を許さない、それで司令は直に楊杰(第 六軍師長)を訪問し、脱出のため保護と交通機関の準備とを要求し女子供から順次に送り出し、午後六時までに日本人全部完全に下関に到着し駆逐艦三隻に収容 され初めて安全な自分達の姿を見出すことが出来た

帝国海軍の受けた汚辱を憤って自殺す 荒木大尉の遺書は私事に一語も及ばず

【上海特電二十九日発】二十九日朝軍艦利根にて自刃した海軍 大尉荒木亀男氏は軍艦「檜」乗組みにて南京事件発生以前より同地領事館にあり、軍艦との通信に当り、かねて領事館保護の任に当っていたが、事件勃発の際か ねて上官の命に従い隠忍自重遂に邦人の生命を保護し得て上海に引きあげ、その報告をなすことが出来たが、帝国海軍が忍ぶべからざる汚辱を受けたことに対し て責を負うて自殺したものであるが、その遺書は公事に関することのみを記し一語も私事に及ばず、軍艦旗掲揚のラッパを合図に拳銃にて自殺せんとし重傷にて 生命は危篤である、その責任観念の強き帝国軍人の亀鑑たるに足るべく、大和魂なお亡びずというべし、この報に接し上海邦人痛惜せざるはない
【海軍省発表】南京領事館警備隊指揮たりし荒木亀男大尉は二十九日朝八時四十五分、軍艦利根艦長室において自殺をはかり生命危篤なる旨の報あ り、南京警備隊は最善を尽して居留民一同よりも感謝せられつつある旨各方面よりそれぞれ電報ありしに、今この悲報に接するは誠に意外とするところなり荒木 大尉(二十九)原籍佐世保市福石町一二四、現住所同市松川町六、家族妻せつ子、大正十五年結婚、なお荒木大尉は大正九年七月海軍兵学校を卒業し、少尉候補 生となり十年六月一日海軍少尉、十二年十二月一日中尉、十四年十二月一日大尉に任ぜられ、駆逐艦「檜」に乗組み、南支那に派遣せられ、今回の不幸を見たの である(東京電話)

支那各地更に悪化す 漢口の在住邦人全部引揚に決す 漸次汽船で上海に向う

【上海特電二十九日発】某所着電によれば漢口邦人居留民も引き揚げに決定し、漸次汽船その他で上海に向うと

漢口の排日風潮 不安の気濃厚となる

【漢口特電二十二日発延着】蒋介石氏と会見のため九江に行っていた余(黒根特派員)は二十二日夜漢 口に戻ったが一週間の間に武漢の状態が激変しているのに喫驚した第一に蒋介石氏の評判が全く地に墜ちていることで、今日武漢では蒋氏のことを皆呼びすてに している、この風潮は長沙方面において最も盛んであることは注目すべきことであろう、第二には排外気分の旺盛なことであって一両日前より開始された外国銀 行支那従業員のストライキ、英字新聞職工の罷業の如き一例で、その解決は全く予想されぬ、その上日本人店員等の襲撃事件はたびたびあり極度に不安におそわ れているが、これは無智な農民の仕事として看過しているただ蒋氏の勢力増大につれ蒋氏と日本とを連ねて排日的言論をなすものあり、ポスターの中にも往々日 本に言及せるものを見るにいたった

杭州の排外空気 愈よ険悪となる 邦人引揚げに汽船を回漕

【上海特電二十九日発】杭州の排外対日空気険悪となったためいよいよ杭州在留邦人は同地引きあげに決定し清野領事は打合せのため上海に来た
【上海特電二十八日発】杭州、蘇州在留民の避難決定し、杭州に二十九日上海より小蒸気船を出した、婦女子二十余名上海に来ることに決定、三十日蘇州にも小蒸気船を向けるはず

荒木大尉のために邦人は惨殺を免れた 避難民慟哭して悲しみ 重なる犠牲に激昂す 二十九日上海にて園田特派員発電

南京大掠奪の責任を 感じ一切の報告を終るとともに二十九日朝静かに君が代の号音を聞いた後利根艦上にてピストル自殺を図った荒木大尉は南京の危急切迫と共に警備隊十名を率い 南京領事館の警戒の任に当っていた人で沈着重厚稀にみる武人であって上下の信任厚く部下の兵士からは親の如く親しまれていた、二十三日夜直隷山東軍が入城 するや予期された兵乱の危険が過ぎた安心に打ち喜びあのような突発事件が起ろうとは何人も思い設けなかったところである、同大尉の自殺をはかるに至った責 任の所在は帝国海軍の威信が冒涜されたという点もあるけれども、もしあの時直面した大暴行に対し一指だに抵抗を命じていたならば一台の機関銃と十人の兵士 でどうしてあの雲霞の如き暴兵の来襲を防ぎ止め得よう、血をみて狂う暴徒等が直ちに在留一百余の邦人を一人残らず虐殺し尼港事件にまさる惨劇が演ぜられて いることは想像し得るに十分である、同大尉が血気にはやる兵士を押し鎮め隠忍自重したればこそ遭難中惨殺も陵辱も受けた者がなかったのであって、かかる場 合における同氏のとった処置は機宜に適したもので何等遺憾とするところなき賢計といわねばならぬ、はからずも南京にあってあの大掠奪に遭遇した私は同氏を 知ること僅かに両三日なりしに拘わらずその人格その風貌に対し実に十年の知己の感を抱いていた、同大尉が南京の急を告げて応急の連絡をはかるため自ら死を 決して下関の艦隊に行かんとするや私は欣然立って同氏と行をともにすることを諾した、このことは吉田司令等の出現により実現をみるに至らなかったけれど も、いま同氏の自害の報に接しあの時の劇的場面を思い出して涙燦然として禁じ得ぬものがある、二十八日夜上海に行った百余の避難邦人一同これを聞いて呆然 自失し凡て慟哭して同氏の悲壮な覚悟に対し悲しみに沈んでいる、一方上海居留氏一同もまた暴虐なる南軍によって後藤三等機関兵曹のあえなき最期に次ぎ同氏 の生命をも犠牲に供せんとするに至ったことに対し大いに激昂している

思慮深く同情深い性格 大尉の同期生談

自殺した荒木亀男大尉と同期生の海軍砲術学学校学生江木博二大尉は語る
荒木君は落付いた性格のどちらかというと思慮深い方であった尤も非常に同情深いところもあったがまさか自殺しようなどとは……兵学校時代はその性 行がこれといって特に目だったようなこともなかった、佐世保中学の出身で昨年五月妻君をもらったばかりだときいたが、本年二十九歳、来年あたりここの砲術 学校学生に選抜されるはずであった(横須賀電話)

イギリスの臨時閣議 日本の処置感謝

【ロンドン特電二十八日発】イギリス首相ボールドウィン氏は例の如くチェカースにて週末の休暇を とっていたが、二十七日夜遅く海軍省から特別の使者を送られ支那における最近の情勢を報告したので間もなく臨時閣議を開くべき決心をなし、右の旨閣員に通 知し、二十八日午前十一時半から二時間にわたって珍らしく臨時閣議が開かれた
信ずべき筋よりの情報によれば右閣議では何等重大な決議行われず、単に海相ブリッジマン氏が今後のために閣員に最近の情勢を詳細に報告し、列席の閣員がこれにつき各自の判断を述べ最後に外相チェムバレン氏が議会において試むべき声明と答弁との内容と範囲とを審議した
なおイギリス当局は地理的に支那に接近している日本が警備充実のために軍艦を増派せるを感謝しアメリカが海兵団を急派せんとしかつ現場におけるアメリカ海軍が一層イギリスと協調一致せんとしつつあるを喜び諸新聞も日、英、米の協力を歓迎し感謝している

英米の被害状況

【上海特電二十九日発】南京事件で英米の蒙った損害は左の如くである

英国 死亡三、負傷二、掠奪されし個所はハルク、総領事館、税関、鑵詰会社及び多数の邸宅で軍艦エメラルドに命中した銃弾七十、ハルク数百発
米国 死亡一、負傷三、領事館は掠奪されしも焼かれず邸宅、教会、学校、会社、工場の大部分は掠奪された、麗旦大学、小学校その他五工場焼かる、米人はあらゆる残忍なる暴行を受けた

第三次総罷業の準備命令を発す 上海総工会から各工会へ

【上海特電二十九日発】上海総工会は二十八日所属各公会に対して第三次罷業の準備をなすべしとの命令を発した

各紡績罷業

【上海特電二十九日発】公大および上海紡績の両者に罷業勃発した結果目下運転不能に陥った紡績は次の二十万錘に達した、すなわち上海紡績の総錘数の二割に上る

(一)内外第九工場二万二千九百八十一
(二)日華第一、二、三、四工場十万七千八百八
(三)上海紡第一工場一万七千三百七十八
(四)公大第一工場五万二千九百十二

上海の形勢 日に険悪を加う 糾察隊には永久武装

【上海特電二十九日発】上海市政府委員の就任式を行うたが支那軍隊の態度は日を逐うて倨傲となり、民衆中には依然いわゆる支那側取締の中にあって種々なる暴行排外宣伝が継続され、外人方面はこれに対し沈黙の緊張をもって対しつつあり険悪なる空気は日に加わっている
【上海特電二十九日発】閘北方面は二十九日朝来空気険悪となり、糺察隊は通行人に対し身体検査をなし日本人の通行者にも強行し、日本服を纏える婦 人の帯を解かんとし婦人が悲鳴を挙げたのを助くるものがあってことなきを得た、蒋介石氏が左傾派の糾察隊、便衣隊に永久武装を許すことを声明したのは今後 の上海を脅威するものとみられている

武人らしい態度 生命は取止めるらしい 佐藤駐在武官の発表

【上海特電二十九日発】荒木大尉の自殺に対し海軍の上海駐在武官佐藤中佐は左の如く発表した
南京警備中の駆逐艦檜乗組海軍大尉荒木亀男氏(二十九)は去る二十三日部下八名を率い通信連絡と居留民保護のため南京領事館に派遣され、南京領事 館が二十四日午前七時半より暴虐な南軍の掠奪で避難邦人が言語に絶する侮辱を加えらるるに至ったが同氏はあらかじめ領事及び居留民より無抵抗主義を取り もって避難者一同の虐殺を避けられたき旨懇請されたので、この間幾度か憤激蹶起せんとする部下を隠忍せしめ避難邦人一同の生命を安全にすることを図ったの である、しかし武人としての面目なしと考え深く決意するところあり軍艦天竜に便乗上海に来り二十八日遣外艦隊司令官に状況報告後徐ろに後事を始末し二十九 日午前八時四十五分不在中の利根艦長室に入り端坐し拳銃一発従容として自殺を図った、弾丸は心臓を避けたから生命危篤だが取り止め得る見込みで、目下上海 篠崎病院で手当中、同氏の行為は軍人としての強い責任感から出発したもので、南京領事館派遣の際すでに決死の覚悟で遺書を認めてあった、南京の南軍の暴虐 の状況報告の任務を終えた後ち従容死に就いたものである、自殺後も意識明瞭で司令官その他の見舞に対して公務以外一言も私事に及ばず軍人らしき態度で南京 にては如何に忍び難きを忍びしかが窺い得られ同情に堪えない、同氏は大正六年兵学校生徒を命ぜられ十年少尉に任官十四年大尉に進級した沈着寡言真面目な青 年将校である、家族は佐世保に妻子がある

育て上げた伯母の談 夫人は妊娠中

荒木大尉は佐世保市八幡町材木商荒木才治氏の長男で父才治氏は大尉が四歳の時死亡し、母うたは離縁と なって郷里島原に帰ったまま音信杜絶、祖母森本たのと伯母にあたる福石町一二四前川末太郎妻いしの手で育てられ、八幡小学校から佐世保中学校を優秀の成績 で卒業し、兵学校には八番で入学した、中学在学中は言動とも剛毅朴訥で成績群を抜き非常な秀才で、また極めて責任観念が強かったので同級生らは今日の訃報 をきいて『荒木としては当然の最期だ、まことに感慨に堪えない』と語っておる、夫人せつ子(二十三)は長崎県西彼杵郡面高村草野氏の女で昨年五月結婚し目 下妊娠四ヶ月で、今年一月夫君の乗艦「檜」が上海に出動するのでやむなく実家に帰った、伯母いしは語る
『出発にあたって今度は戦争も同じだ、お国のためだから働いておいでと申しましたところ「覚悟はしておる」といって出かけましたが、たとえ職務上遺憾の点があるにしてもせめて軍人らしい潔い最期をとげてくれたことは心からよろこんでおります』(佐世保電話)

静かに君が代を謹聴したのち自尽した

二十九日上海荒城第一遣外艦隊司令官発、海軍省着電左の通り
荒木大尉は当時の状況報告のため天竜にて上海に来り二十八日夜司令官に詳細の事情を沈着明瞭に陳述し翌二十九日午前八時静かに最後の軍艦旗掲揚の 君が代の号音を謹聴したる後、利根艦長室において椅子により拳銃にて左胸部を貫きたるものにて予め十分覚悟を極めていたものの如く、その後の態度も整然と して十分間以上意識明瞭にて合掌端坐したるまま司令官その他のものに対し頻りに責任上遺憾の旨を述べ一言も私事にわたらなかった

勝ちほこる南軍 四路に分れ北進に決す 一部はすでに楊州へ

【連合上海二十九日発】支那側消息によれば何応欽、程潜氏らは二十八日上海 に来り軍事会議を開いたがその結果奉天軍打破のため四路に分れ北進することとなり何応欽、程潜、李宗仁、唐生智氏を総指揮に任じ蒋介石氏は三十日ころ南京 に赴き全軍の指揮をなすはずである、何応欽軍の一部はすでに楊州に到着したと

臨時政府委員を任命す

【連合上海二十九日発】先日上海市民代表大会で推挙した上海臨時政府委員白崇禧、鈕永建、虞洽卿等十九名は国民政府から正式に任命され二十九日就任式を行った

損害賠償にも十分責任を負う 森岡領事と会見した 蒋介石氏派遣の特使

蒋介石氏は楊杰氏を派遣して二十七日駆逐艦に引揚げの間際森岡領事と会見せしめ、今回の事件に対し深甚なる遺憾の意を表し、かつ掠奪等に関しては徹底的に取締をなすと同時に外交部を設置して適当なる処置をとり、損害賠償に関しても十分責を負う旨を述べた(某所着電)

蒋氏代理の陳謝 後藤兵曹の葬儀に参列

林石民氏は南京の交渉員に任命され直に二十七日南京にいたり蒋介石氏の代理として森岡領事を訪問して今回の事件に対し遺憾の意を表し陳謝した、ついで殉死した後藤機関兵曹の葬儀に参列した(某所着電)

対外交渉は蒋介石氏に一任 武漢、南昌両派の関係いよいよ急迫

【漢口特電二十八日発】武漢の政府筋では上海、南京占領後における蒋介石 氏一派の行動に懐疑の念を以て監視しているが、蒋氏が勝手に政治的、外交的、財政的の手腕を揮わんとしつつあるに対しては非常に心配し恐怖を感じている 従ってこれが対策には種々苦心しつつあり、財政部長宋子文氏は二十六日江蘇、浙江両省の財政の管理権を帯びて漢口発上海に赴き、二十七日軍事委員会は程潜 氏を南京衛戌総司令に任命などしているが、外交に関してはどうしようもなく南京事件の対外交渉の如きも却って蒋氏に一任している有様である、然し蒋氏が日 本や英国と接近し白崇禧氏が条約尊重の宣言を発する等のことに対しては非常に不愉快とし北方軍閥と何等差異なきものと攻撃し、強硬論者はこの機会に蒋氏を 打倒すべしと主張している、いずれにしても上海方面における戦局の発展は一層武漢、南昌両派の決裂を甚だしからしめ形勢は急迫しつつある

フランスも大部隊増派か

【連合ロンドン二十九日発】デイリー・メール紙パリ通信員の探知せるところによれば、フランス政府は仏領印度支那から大部隊の増援隊を上海へ派遣すべく命令を発したと

サンヂエゴ出帆 米遣支海兵団

【電通ワシントン二十八日発】アメリカ海軍当局は千五百の海兵を二十八日フィラデルフィアにおいて列車に乗込ませサンジエゴに赴き同地で運送船ヘンダーソン号により支那に向け出発せしめた

広東の警戒

【広東特電二十八日発】南京事件により形勢が悪化せんことを恐れ英、仏領事は沙面租界に更に厳重に鉄条網を張廻し二十九日朝陸戦隊を上陸することに決したが支那街は極めて平穏である

夜間通行禁止

【連合上海二十八日発】上海目下の不穏状態に鑑み、蒋介石氏は二十八日午後支那街一帯に午後十時より午前五時までの戒厳令を発布した

英兵上海に増派 香港から旅団司令部移る

【連合上海二十九日発】遣支イギリス艦隊司令官ダンカン少将は上海方面の形勢重大なるにかんがみ更に香港より旅団司令部とともに歩兵一個大隊、野砲兵、山砲兵各二個中隊を上海へ招致する手続きを終った

各国兵に即時撤退要求 陳友仁氏から声明

【上海特電二十九日発】国民政府外交部長陳友仁氏はチャイナ・トリビュンに上海問題に関し声明 書を発し、国民政府のいわゆる従来の政策を繰返し各国が依然上海に駐軍することは不都合なりとて即時撤退を要求し、かつ国民政府は共同租界に対し回収の平 和的交渉開始の意志があることを述べた

蒋介石氏から

【連合上海二十八日発】南京事件の真相判明するに従い、蒋介石氏は非常に憂慮し、なるべく長引かずに解決せんとする方針らしく二十八日も国民政府外交部長陳友仁氏に招電を発して直に上海に来るよう促したと

陳氏に招電 目下の状勢では居留民全部の引揚とはうけとれぬ

杭州、蘇州および漢口在留邦人の引揚げについては、その筋には未だ情報が来 ていないが、杭州、蘇州においては万一の場合を慮って婦女子のみは上海に引揚ぐるかも知れぬとの情報があった模様である、外務当局としてはこの際特に右各 地の居留地全部の引揚げを訓令した訳ではなし、もし全部引揚ぐるとすれば出先領事の計らいで応急の措置をとることになっているかも知れぬが、漢口の居留民 を全部引揚げということは聊か現在の状況に合致しない模様である、高尾総領事の電報では南京事件は漢口でも事態はやや不安の空気が加って来ておるというが 漢口居留民は全部で四千以上もあり工場その他の邦人経営の事業抛擲してまで引あげることは到底不可能であるから、或は婦女子を日清汽船で下江させるような 準備に着手することは考えられるが、目下の状況では格別全居留民が引揚るなどとは想像だもされないと(東京電話)

データ作成:2006.6 神戸大学附属図書館

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